ことわざ一覧
先人の知恵と教訓が凝縮された短い言葉。50音順に収録しています。
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羹に懲りて膾を吹く
あつものにこりてなますをふく
一度の失敗に懲りて、必要以上に用心深くなること。
後の祭り
あとのまつり
機会を逃し、そのあとに何をしても役に立たないこと。間に合わなかったと気づいて悔やむ場面にも使う。忘れていた誕生日を翌週に祝おうとしても、当日の機会は戻らず後の祭りだ。「覆水盆に返らず」は一度起きたことが取り返せない結果を言い、この語は対応する時機を逃した点を表す。「六日の菖蒲十日の菊」は節句の日を過ぎた花を指す、より具体的な類句だ。
雨垂れ石を穿つ
あまだれいしをうがつ
小さな努力でも根気よく続ければ、いつか大きな成果を上げることができるということ。
石の上にも三年
いしのうえにもさんねん
冷たい石の上でも長く座り続ければ温かくなる、というたとえから、最初は苦しく手応えがなくても、有益だと判断したことを粘り強く続ければ力や成果につながることをいう。新しい技能の習得や、環境に慣れるまでの努力を励ます場面で使う。三年という数字を文字どおりの期限とする言葉ではない。また、心身を傷つける環境まで耐え続けることを勧める意味でもない。
石橋を叩いて渡る
いしばしをたたいてわたる
丈夫に見える石橋でも、渡る前に叩いて安全を確かめるというたとえ。念には念を入れ、十分に安全と思えることにも用心してから行動することをいう。契約や大きな買い物など、失敗したときのやり直しが重い場面で使いやすい。用心深さを褒める場面のほか、慎重すぎて決断が遅いと皮肉る場面にも使う。「急がば回れ」が安全で確実な道を選ぶ教えなのに対し、こちらは行動前に確かめる姿勢に重きを置く。
急いては事を仕損じる
いそいではことをしそんじる
何事も焦って急ぐと失敗しやすいということ。急ぎすぎると注意力が散漫になり、手順を飛ばしたり確認を怠ったりして、かえって手直しや取り返しに時間がかかってしまう。「急いては」は「急いで行動すれば」という仮定の表現、「仕損じる」は「やり損ねる・失敗する」の意。物事に落ち着いて取り組むことの大切さを説く、日本の代表的なことわざのひとつ。
急がば回れ
いそがばまわれ
急いで目的を達したいときほど、危険な近道ではなく、安全で確実な方法を選んだほうが、結局は早く着くというたとえ。遠回りそのものを勧める言葉ではなく、失敗ややり直しの大きい場面で、手順の確認や準備を省かないという判断を表す。締切が迫る仕事、慣れない道、重要な契約などで使いやすい。単に遅い行動を正当化する意味にはならない。
一を聞いて十を知る
いちをきいてじゅうをしる
一つのことを聞いただけで、その他の多くのことまで理解できるほど賢いこと。
犬も歩けば棒に当たる
いぬもあるけばぼうにあたる
何かをしていれば思わぬ幸運に出会うこともある、ということ。また、出しゃばると災難に遭うという意味もある。
井の中の蛙大海を知らず
いのなかのかわずたいかいをしらず
狭い世界にいて、広い世界のことを知らないこと。見聞が狭いことのたとえ。
言わぬが花
いわぬがはな
すべてを言葉にして伝えるよりも、あえて口にしない方が奥ゆかしさや趣があり、相手への配慮にもなるということ。知っていても言わない、感じていても表に出さない——その沈黙の中にこそ言葉を超えた余韻と品格があるという日本的な感覚を表す。能楽の「秘すれば花なり」の美意識にも通じる表現で、情報の全開示が必ずしも最善ではないという含意も持つ。
馬の耳に念仏
うまのみみにねんぶつ
いくら意見や忠告をしても、まったく効き目がないこと。聞く耳を持たない相手への徒労を表す。何度説明や説得を試みても全く届かない状況を指す。仏教で有難い言葉とされる「念仏」でさえ馬には届かないことから、どれほど誠実な言葉も理解しようとしない相手には無意味だという含意がある。繰り返し指摘しても改善が見られない場面でよく使われる。
絵に描いた餅
えにかいたもち
実際には何の役にも立たないもの。いくら立派でも実現不可能な計画のこと。
鬼に金棒
おににかなぼう
もともと強い者にさらに強力な武器や味方が加わり、一層強くなること。
思い立ったが吉日
おもいたったがきちじつ
何かをしようと決心したなら、暦の上の吉日など待たずに、その日のうちに行動を起こすべきだということ。決意が生まれた瞬間こそ気力と集中力が最も高い時であり、その勢いを逃さないことを促す言葉。「大安を待ってから始める」よりも、自ら決断した日こそが本当の吉日だという考え方で、完璧な条件が揃うまで動かないという先延ばしの習慣への戒めでもある。
河童の川流れ
かっぱのかわながれ
水泳の達人とされる河童ですら川に流されることがあるように、どれほど熟練した名人や達人と呼ばれる人でも、油断や不注意によって思わぬ失敗を犯すことがある。得意分野であるほど慢心しやすく、その油断こそが失敗を招く。この表現は失敗に対する戒めとして使われるとともに、失敗した相手を責めずに慰める場面でも用いられる。
果報は寝て待て
かほうはねてまて
幸福は人の力だけでは思い通りにならないことが多い。できる手を尽くしたなら、あとは焦らず静かに時機を待つのがよいということ。「果報」は仏教語で、過去の行いがもたらす善果を意味する。努力を怠ることを許す言葉ではなく、やるべきことを終えた後の心の持ち方を説く。縁は人の都合に合わせては動かない、という静かな諦観が根底にある。
口は災いの元
くちはわざわいのもと
不用意な発言や軽はずみな言葉が、本人にとって予期せぬ災難や困難を引き起こす原因となることがある。言葉はひとたび口から出ると取り消すことができないため、発言には十分な注意が必要であるという教訓。怒りや感情的な状態での言葉、機密の漏洩、場をわきまえない一言に対する戒めであり、SNS全盛の現代においてこの教訓はより一層重みを増している。
君子危うきに近寄らず
くんしあやうきにちかよらず
教養のある立派な人は、危険なことに近づかないものだということ。
継続は力なり
けいぞくはちからなり
何事も根気強く続ければ、やがて力や成果につながるということ。小さな努力も積み重ねることが大切だという教え。
光陰矢の如し
こういんやのごとし
月日の過ぎるのが、飛ぶ矢のように速いということ。年月が流れていく速さをいうたとえである。辞典が載せる用例も、谷崎潤一郎の「すぎ去ってみればなるほどそうでござりますけれども」、斎藤茂吉の「私は五十になり、六十になり」のように、過ぎ去った年月を振り返る場面のものばかりで、一日の予定が立て込んだ慌ただしさに使った例は見えない。デジタル大辞泉はこの句の類語に「歳月人を待たず」「時は人を待たず」を並べている。
弘法にも筆の誤り
こうぼうにもふでのあやまり
どれほど熟練した人、経験を積んだ人でも、ときには書き損じや判断ミスをするということ。優れた相手の小さな失敗を必要以上に責めないときや、自分の失敗を認めて立て直すときに使う。失敗を免罪するための言葉ではなく、名人でも誤るなら、確認と修正を怠らないという含みがある。大きな損害や繰り返した不注意を軽く扱う場面には向かない。
弘法筆を選ばず
こうぼうふでをえらばず
本当に技量のある人は道具の良し悪しを問わないということ。
虎穴に入らずんば虎子を得ず
こけつにいらずんばこじをえず
危険を冒さなければ大きな成果は得られないということ。
猿も木から落ちる
さるもきからおちる
その道に優れた者でも、時には失敗することがあるということ。木登りを本業とする猿でさえ木から落ちることがあるように、専門家・名人・熟練者でも例外なくミスをする。他者の失敗を責めない戒めとして使われるほか、ミスをした自分や身近な誰かを慰める言葉としても用いられる。完璧を過度に求めることへの戒めともなる。
触らぬ神に祟りなし
さわらぬかみにたたりなし
面倒なことや危険なことには関わらない方が無難だということ。
三人寄れば文殊の知恵
さんにんよればもんじゅのちえ
凡人でも三人集まって相談すれば、文殊菩薩のようなすばらしい知恵が出るということ。
自業自得
じごうじとく
自分のした悪い行いの報いを自分が受けること。身から出た錆。
十人十色
じゅうにんといろ
人はそれぞれ好みや考え方が違うということ。十人いれば十通りの個性があること。多様性を認め、他者との違いを自然なものとして肯定する表現。価値観・趣味・意見の違いを指摘したり、その違いを受け入れる文脈で使われる。「こう考えるのが普通だ」という思い込みを諌めるときや、意見の多様さを示すときにも引用される。
善は急げ
ぜんはいそげ
よいと思ったことは、ためらわずすぐに実行すべきだということ。
千里の道も一歩から
せんりのみちもいっぽから
どんなに大きな事業や遠い目標でも、まず身近なことから着実に始めることが大切だということ。始めることの重要性と、一歩一歩の積み重ねを説く表現。壮大な計画の前に及び腰になっている人への励まし、あるいは行動を促す言葉として使われる。長い旅も足元の一歩からというイメージが明快で、動き出すことを後押しする力がある。
蓼食う虫も好き好き
たでくうむしもすきずき
人の好みはそれぞれで、辛い蓼を好んで食べる虫がいるように、人の好みは理解しがたいこともあるということ。
棚からぼたもち
たなからぼたもち
努力をしたわけでも準備をしたわけでもないのに、棚の上から思いがけずぼたもちが落ちてくるように、突然予想外の幸運や利益が転がり込んでくること。偶然の幸運、いわゆる「棚ぼた」を表す表現。羨望や驚きを込めて使われることが多い。努力の結果ではない点が「果報は寝て待て」との本質的な違いであり、稀に自嘲や皮肉の文脈でも用いられる。
旅は道連れ世は情け
たびはみちづれよはなさけ
旅に同行者がいると心強いように、世の中もまた互いに助け合って生きていくべきだということ。「旅の道連れ」と「世の情け」を対句にした構造で、人と人のつながりが困難を乗り越える力になるという教えを示す。見知らぬ土地での旅と日常の社会生活を重ね、どちらの場面でも思いやりと相互扶助が不可欠だと説いている。転じて「人生という旅」の比喩としても広く用いられる。
塵も積もれば山となる
ちりもつもればやまとなる
わずかなものでも、積み重なれば大きなものになるということ。小さな努力・節約・積み立てを継続することの大切さを説く。毎日の些細な行動でも長く続ければ大きな成果を生むという教えで、貯蓄・学習・訓練など、地道な継続を励ます文脈でよく使われる。小さなことを軽視しないよう促す意味合いも含み、日々の習慣の力を示す表現。
沈黙は金
ちんもくはきん
「雄弁は銀、沈黙は金」の後半だけが独り歩きした言い方で、黙っていることのほうが優れた弁舌よりも価値を持つ場合がある、ということ。口を閉ざしさえすれば偉いという語ではない。辞典の語釈が重く見るのは、沈黙すべき時とその効き目を心得ている判断のほうで、言葉を尽くすべき場面で黙り込むのは、この語が褒める沈黙ではない。言い返さずにおいて場が収まる、余計な一言を飲み込んで信用を保つ——そうした場面で使う。
時は金なり
ときはかねなり
時間はお金と同じくらい貴重なものだから、無駄にしてはいけないということ。
虎に翼
とらにつばさ
もともと力のある者にさらに力が加わること。強いものがいっそう強くなること。
捕らぬ狸の皮算用
とらぬたぬきのかわざんよう
まだ手に入れていないものを当てにして計画を立てること。確実でない利益をあてにして、あれこれ皮算用をする行為のこと。まだ得ていない結果を前提にして喜んだり計画を進めたりする、根拠のない楽観的な行為を批判的に表す。英語の「孵化する前にひよこを数えるな(Don't count your chickens before they hatch)」に対応する。
七転び八起き
ななころびやおき
何度失敗してもその都度立ち上がって努力すること。転んでも転んでも起き上がる不屈の精神を表す。失敗や挫折を繰り返しながらも諦めずに前進し続ける姿勢を称える表現。挫折した人を励ます言葉、あるいは自分自身の意志を確かめる言葉として使われる。「七転八起(しちてんはっき)」とも書き、だるまの起き上がり小法師がこの精神を象徴する。
糠に釘
ぬかにくぎ
いくら意見や忠告をしても、少しも手応えや効果がないこと。
猫に小判
ねこにこばん
価値を理解する力のない者に、どれほど貴重なものを与えても無意味であること。猫が金貨の価値を認識できないのと同様に、相手が受け取る準備も能力もない場合、贈り手の厚意や優秀さは活きない。非難よりも困った諦めを帯びた観察として使われることが多く、相手を責める言葉ではなく、状況そのものへの感慨として使うのが自然な語感である。
能ある鷹は爪を隠す
のうあるたかはつめをかくす
実力のある者は、むやみにそれを見せびらかさないものだということ。
暖簾に腕押し
のれんにうでおし
いくら力を入れても手応えがなく、張り合いがないこと。
箸が転んでもおかしい年頃
はしがころんでもおかしいとしごろ
「箸が転んでもおかしい年頃」とは、箸が転がるほどの何でもない出来事にもおかしさを感じ、よく笑う年頃のこと。伝統的には十代後半の女性を指してきた。穴埋めで「○が転んでもおかしい」と問われたとき、○に入るのは「箸」だが、「年頃」までが見出し語である。「笑い上戸」は年齢を限定しない笑い癖のある人、「ゲラ」はよく笑う人の口語的な呼び方で、本語とは範囲が違う。現在の相手へ直接使うと性別や年齢の決めつけに聞こえることもあるため、昔を振り返る文や「まるで〜のようだ」という比喩に置くと使いやすい。
花より団子
はなよりだんご
美しい眺めや形式を味わうことより、実際に役立つものや目の前の満足を選ぶこと。花見で桜より団子を楽しむ姿をたとえにする。相手の現実的な選択を親しみを込めて言うほか、自分の食い気や実用志向を軽く笑うときにも使う。芸術や趣味の価値を否定する語ではないので、相手を「風流でない」と決めつける言い方には注意したい。
早起きは三文の徳
はやおきはさんもんのとく
早起きをすると何かしらよいことがあるということ。
人の褌で相撲を取る
ひとのふんどしですもうをとる
他人が用意した物・資金・アイデア・労力を利用し、自分の成果や利益にすること。特に、自分では相応の準備や負担をせず、手柄や利益だけを得ようとする不公平な態度を批判するときに使う。人に助けてもらうこと自体を責める語ではない。許可を得て協力し、貢献者を明記して負担と成果を分けるなら、この語で非難する場面とは言いにくい。ただし、形式上の許可があっても配分が不公平なら、文脈によっては当てはまる。「虎の威を借る狐」は他人の権威を後ろ盾にして威張ること、「付和雷同」は自分で考えず意見に従うことが中心である。
豚に真珠
ぶたにしんじゅ
価値のわからない者に貴重なものを与えても意味がないということ。
負けるが勝ち
まけるがかち
争いごとでは一時的に負けても、長い目で見ればその方が勝ちにつながることがあるということ。
待てば海路の日和あり
まてばかいろのひよりあり
今は状況が悪くても、じっと待っていればそのうちよい機会がやってくるということ。
身から出た錆
みからでたさび
自分の犯した悪行の結果として、自分自身が苦しむこと。
六日の菖蒲十日の菊
むいかのあやめとおかのきく
五月五日の端午の節句の菖蒲、九月九日の重陽の節句の菊のように、使う時期を過ぎて役に立たなくなったものを言うたとえ。花が必要な日を一日過ぎた例から、用意が手遅れになる場面にも使う。「後の祭り」は、機会を逃した後の悔いや遅れ全般を指すのに対し、こちらは時期を外れた物を花で描く。「覆水盆に返らず」は一度したことを戻せない結果に焦点があり、時期外れとは別の意味だ。
目は口ほどにものを言う
めはくちほどにものをいう
目つきや表情は、口で言う言葉と同じくらい気持ちを伝えるものだということ。
元の木阿弥
もとのもくあみ
一度上向いた事柄が、また不本意だった以前の状態に落ち着くこと。そこまでに積み重ねた努力が実らず、振り出しに近いところへ戻る結末にも使う。「元に戻る」だけなら良し悪しは決まらないが、この語にはいったん改善した後の後戻りや、苦労が帳消しになる響きがある。立て直した売上が再び落ち込んだときや、何週間も続けた片づけが一日で崩れたときに「元の木阿弥」と言える。
類は友を呼ぶ
るいはともをよぶ
「類は友を呼ぶ」は、考え方や趣味、性質の似た人どうしが自然に集まり、仲間になること。似た者が集まる様子そのものをいうため、集まった人たちへの評価は文脈で決まる。「同じ穴の狢」は、一見違って見える相手も同類だと見抜いて批判する言い方で、集まること自体には焦点がない。好みの近い人々が寄り合う様子を穏やかに言うなら「類は友を呼ぶ」、隠れた同類性を指摘するなら「同じ穴の狢」が合う。
六十の手習い
ろくじゅうのてならい
年をとってから学問や習い事を始めること。学ぶのに遅すぎることはないという意味。
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