糟糠の妻
そうこうのつま
故事成語の意味
貧しく苦しい時代をともに過ごした妻のこと。夫が出世したり豊かになったりしたあとも、苦労を分かち合った妻への深い敬意と感謝の念を込めて使う言葉。「糟糠」とはもみがら(糟)と糠(ぬか)のことで、粗末な食事の象徴。どれほど状況が変わっても、苦難を共に生き抜いた妻を大切にすべきという教えを含む、中国後漢の故事に由来する表現。貧苦を共にした妻への義理と愛情の象徴として現代でも使われる。
故事の由来
中国後漢の光武帝(劉秀)と宋弘の有名な逸話に由来し、『後漢書』巻二十六「宋弘伝」に記録されている。光武帝の姉、湖陽公主が未亡人となった後、臣下の宋弘の才徳を気に入り、光武帝に取り次ぎを頼んだ。光武帝は宋弘と面会し「諺に云う、貴くなれば友を替え、富めば妻を替えるとは人の常か(諺云、貴易交、富易妻、人情乎)」と問いかけた。宋弘はこれを受けて答えた——「臣は聞く、糟糠の妻は堂より下さず(臣聞、糟糠之妻不下堂)」。貧賤のときを共にした妻は、いかに出世しても離縁してはならないと聞き及んでおります、と。光武帝はこの答えに深く感動し、姉に「事は難しい」と伝え、縁談は立ち消えとなった。この宋弘の一言が後世に伝わり、貧苦を共にした妻への義理と愛情の象徴として日本語にも根付いた。
用例
- “社長が成功しても糟糠の妻を大切にする姿に、社員たちは深く感動した。”
- “糟糠の妻と歩んだ数十年を振り返り、老いた彼は目を細めた。”
- “どれほど出世しても糟糠の妻を忘れてはならない、と先人は教えた。”
- “彼女は若い女性に目移りすることなく、共に苦労してきた糟糠の妻を生涯愛し続けた。”
- “糟糠の妻を捨てて若い女に走った彼への周囲の目は厳しかった。”
類義の故事成語
対義の故事成語
英語訳
A faithful wife who has shared one's hardships; A wife who shared poverty with her husband
使うシーン
参考文献
- 新村出 編『広辞苑 第七版』岩波書店, 2018年
- 松村明 編『大辞林 第四版』三省堂, 2019年
- 尚学図書 編『故事ことわざ辞典』小学館, 2012年
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