先憂後楽
せんゆうこうらく
故事成語の意味
人より先に心配し、人より遅れて楽しむこと。指導者・為政者は民より先に憂い、民が楽しんだ後に自分が楽しむべきだという精神を指す。
故事の由来
中国・北宋の范仲淹が著した『岳陽楼記』の「天下の憂いに先んじて憂い、天下の楽しみに後れて楽しむ(先天下之憂而憂、後天下之楽而楽)」に由来する。すぐれた人物は自分の利益よりも公の責任を優先すべきだという理念を表している。東京の後楽園の名もこの言葉に由来する。
用例
- “先憂後楽の精神でリーダーとして組織の問題に率先して向き合った。”
- “先憂後楽という言葉通り、自分の楽しみは後回しにして仕事に打ち込んだ。”
- “先憂後楽を体現するリーダーは、組織の信頼を集める。”
類義の故事成語
対義の故事成語
英語訳
Be the first to worry and the last to enjoy; put public interest before personal pleasure
使うシーン
参考文献
- 新村出 編『広辞苑 第七版』岩波書店, 2018年
- 松村明 編『大辞林 第四版』三省堂, 2019年
- 尚学図書 編『故事ことわざ辞典』小学館, 2012年
関連する故事成語
杞憂
きゆう
取り越し苦労のこと。心配する必要のないことを過度に気にかけ、苦しんでしまう状態を指す。古代中国の杞(き)という国の人が「天が崩れ落ちてくるのではないか」と心配して夜も眠れなくなったという故事から生まれた言葉。実際には起こりえないこと、あるいは心配したところで変えられないことへの無用な不安を表す。「杞憂に終わる」の形で、心配が無用だったと後から分かったときによく使われる。
善は急げ
ぜんはいそげ
よいと思ったことは、ためらわずすぐに実行すべきだということ。
果報は寝て待て
かほうはねてまて
幸福は人の力だけでは思い通りにならないことが多い。できる手を尽くしたなら、あとは焦らず静かに時機を待つのがよいということ。「果報」は仏教語で、過去の行いがもたらす善果を意味する。努力を怠ることを許す言葉ではなく、やるべきことを終えた後の心の持ち方を説く。縁は人の都合に合わせては動かない、という静かな諦観が根底にある。
急いては事を仕損じる
いそいではことをしそんじる
何事も焦って急ぐと失敗しやすいということ。急ぎすぎると注意力が散漫になり、手順を飛ばしたり確認を怠ったりして、かえって手直しや取り返しに時間がかかってしまう。「急いては」は「急いで行動すれば」という仮定の表現、「仕損じる」は「やり損ねる・失敗する」の意。物事に落ち着いて取り組むことの大切さを説く、日本の代表的なことわざのひとつ。
以心伝心
いしんでんしん
言葉や文字を使わなくても、互いの心が自然に通じ合うこと。禅宗で言語や文字を超えて師匠の悟りが弟子の心に直接伝わることを表した語が日常語に転じた。深い信頼関係や長い付き合いの中で言葉を交わさなくても意思疎通できる状態を表す。特に長年連れ添ったパートナー、同じ道を歩んできた師弟、幼馴染など、積み重ねられた時間が生み出す深い相互理解を表す際に使われることが多い。
首を長くする
くびをながくする
待ち遠しくて待ちわびること。期待して心待ちにすること。
三顧の礼
さんこのれい
優れた人材を招くために、目上の者が礼を尽くして何度も足を運ぶこと。また、そのような礼を受けた側が感激して誠心誠意仕える姿勢を指す場合もある。現代では主に、会社や組織が人材を熱心に迎え入れる際の礼遇を表す言葉として広く使われており、三国志の故事は時代を超えてリーダーシップと人材活用の手本となっている。
覆水盆に返らず
ふくすいぼんにかえらず
器からこぼれた水は二度とその器に戻せないように、一度起きてしまったことはどれほど悔やんでも元の状態に戻すことができないということ。過去の失言・別れ・失敗・壊れた信頼関係など取り返しのつかない事態に対して用いられる。後悔への戒めとして機能するとともに、過去に縛られず前を向くことを促す含意も持つ表現である。