言葉辞典
慣用句

腹に一物ある

はらにいちもつある

慣用句の意味

表面には出さないが、心の中に何か良からぬ考えや企みを隠していること。うわべは平静に見えても、内心では腹黒い意図が潜んでいることを指す表現。相手の真意が読めない場面や、表向きは友好的でも内心に策略を持つ人物を評する際に使われる批判的な言葉。「腹」が日本語で「本心・本音」を象徴する言葉であることに由来し、「腹を割って話す」とは対照的な状態を表す。

言葉の成り立ち

「腹」は内心や本心、「一物」は何かのたくらみを指す。故事ことわざ辞典は、昔は精魂が腹にあると考えられたことに由来する説を載せる。これは同辞典の語源説であり、確かな成立史とまでは言い切れない。

用例

  • “急に態度が丁寧になった彼には腹に一物あると見て、警戒した。”
  • “競合他社の社長が突然の提携を申し出てきた。腹に一物あるのではないかと思う。”
  • “笑顔で握手を求めてきた相手だが、腹に一物ある可能性を念頭に置いて交渉を進めた。”
  • “あの政治家の発言はいつも表と裏がある。腹に一物あることは間違いない。”
  • “いつも物静かに見える彼女だが、実は腹に一物あって、周囲を巧みに操っているらしい。”

似た慣用句

腹黒い下心がある魂胆がある企みがある

対になる慣用句

腹を割って話す腹蔵なく率直

英語表現

To have an ulterior motive; To have something up one's sleeve; To have hidden intentions

使う場面

策略対人

参考文献

このページで確認した資料

意味・由来の記述は、次の資料を照合して編集しています。

編集の基本参考文献

  • 新村出 編『広辞苑 第七版』岩波書店, 2018年
  • 松村明 編『大辞林 第四版』三省堂, 2019年
  • 米川明彦・大谷伊都子 編『日本語慣用句辞典』東京堂出版, 2005年

関連する慣用句

慣用句

腹を割って話す

はらをわってはなす

本心を包み隠さず打ち明けて話し合うこと。辞書の見出しは「腹を割る」で、精選版日本国語大辞典はこれを「本心をうちあける。包み隠さずすべてをさらけ出す」と説き、デジタル大辞泉は用例として「腹を割って話す」の形を挙げる。遠慮や駆け引きをやめ、考えていることをそのまま相手に見せる対話を指す。対立を収めたいとき、あるいは相手を信頼していると示したいときに使い、「腹に一物ある」状態とはちょうど正反対である。

慣用句

腹をくくる

はらをくくる

どのような結果になっても受け入れる覚悟を決め、思い切った行動に出る心境になること。『デジタル大辞泉』は覚悟を決める・決意を固める意とし、『精選版 日本国語大辞典』は「どんな結果になってもたじろがないように意を決する」と語釈する。うまくいかなかった場合の損まで引き受けたうえで前に出る、という重さがこの語にはある。辞典が類語として並べる「腹を決める」「腹を据える」「腹を固める」はほぼ同義で、言い換えが利く。

故事成語

肝胆相照らす

かんたんあいてらす

互いに心の奥底まで打ち明け合い、深く理解し合うこと。腹を割って話せる真に親密な関係を指す。

故事成語

馬脚を現す

ばきゃくをあらわす

隠していた本性や悪事・失敗が暴露されること。化けの皮がはがれて正体が明らかになることを指す。

慣用句

へそを曲げる

へそをまげる

機嫌を損ねて意地を張ること。些細なことで不機嫌になり、素直でなくなる様子を表す言葉。子どもっぽい反応や、些細な怒りから意固地になる態度を批判的あるいはやや滑稽に指す場合が多い。「へそ」が体の中心(物事の核心)の象徴として使われることから、その中心が歪む(曲がる)ことで態度や気持ちが素直でなくなる状態を表す。大人に対して使うときにはやや批判的なニュアンスが伴う。

故事成語

断腸の思い

だんちょうのおもい

胸が痛むというだけでは足りない、身を裂かれるほど深く悲しく苦しい思い。大切な人との別れ、守りたかったものを断念する場面など、取り返しのつかない喪失を強く表す。悔しさや怒りが中心なら「痛恨」や「切歯扼腕」のほうが近く、日常の小さな失望には重すぎる。「断腸の思いで〜を手放す」の形では、手放す決断そのものに大きな痛みがあることを伝えられる。他人の苦しみを評するときは、安易に大きな語を当てず、本人の状況に見合うか慎重に選びたい。

ことわざ

目は口ほどにものを言う

めはくちほどにものをいう

目つきや表情は、口で言う言葉と同じくらい気持ちを伝えるものだということ。

故事成語

杞憂

きゆう

心配する必要がないと判断できることを、あれこれ心配する取り越し苦労のこと。中心にあるのは、単に不安を感じることではなく、心配の根拠が乏しいか、心配する理由がなかったと分かることである。だから、まだ安全確認が済んでいない事柄や、備えを要する具体的な危険を、根拠を確かめずに「杞憂」と片付けるのは合わない。事態が落ち着いた後には、「杞憂に終わった」「心配は杞憂だった」と振り返る形でもよく使う。日常の軽い心配なら「取り越し苦労」、起こる可能性を慎重に述べるなら「懸念」と使い分けたい。人の心配を一言で退けるより、何が確認できたら安心できるかを確かめるほうが、この語の重さを誤らない。

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