付和雷同
ふわらいどう
四字熟語の意味
自分自身の考えや判断を持たないまま、他人の説や多数派の意見へ安易に同調すること。誰かと同じ結論になっただけでは、この語には当たらない。根拠を自分で確かめず、周囲の勢いや立場に合わせて賛成するところに批判の意味がある。この辞典での使い分けの目安は、会議で考えた末に意見が一致したなら「賛同」、人間関係や環境の影響で考え方そのものが変わったなら「朱に交われば赤くなる」、その場で人の尻について軽率に行動したなら「尻馬に乗る」である。「多数派に付いたか」ではなく、「自分の判断を置き去りにしたか」を確かめて使いたい。
由来・語源
「付和」と「雷同」を重ねた語で、「付和」は人の側について意見を合わせること、「雷同」は雷が鳴ると周囲のものが共に響くように、深く考えず他人の言動へ同調することを表す。コトバンク所収の『四字熟語を知る辞典』は、両方とも中国語にある語で、それらを重ねた「付和雷同」「雷同付和」が近代の日本語で四字熟語になったと説明する。精選版日本国語大辞典には、細井和喜蔵『女工哀史』(1925年)の「附和雷同的」という用例が載る。「付和」は「附和」とも書くが、一般には「付和雷同」と表記する。「不和雷同」は、同じ音から生じた誤記である。古典の一節を四字全体の直接の出典と決めず、語を重ねた成り立ちとして扱う。
用例
- “会議では付和雷同せず、賛成する理由を一人ずつ確かめた。”
- “評判だけに付和雷同して買うのではなく、自分に必要な機能を比べよう。”
- “上司の案と結論が同じでも、根拠を検討したうえの賛同なら付和雷同ではない。”
- “教室の多数意見に付和雷同せず、資料を読んでから自分の考えを述べた。”
- “周囲の拍手に付和雷同しただけの決定は、条件が変わるとすぐに揺らいだ。”
類義の四字熟語
対義の四字熟語
英語訳
To follow the crowd without thinking; uncritical conformity.
使うシーン
参考文献
このページで確認した資料
意味・由来の記述は、次の資料を照合して編集しています。
- コトバンク「付和雷同」 — 現代の語義、誤記、用例と、『付和』『雷同』を重ねた成り立ちの確認
- 漢字ペディア「付和雷同」 — 無批判に従う語義、『附和』の異表記、『雷同付和』の形の確認
編集の基本参考文献
- 新村出 編『広辞苑 第七版』岩波書店, 2018年
- 松村明 編『大辞林 第四版』三省堂, 2019年
- 三省堂編修所 編『新明解四字熟語辞典 第二版』三省堂, 2020年
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