五十歩百歩
ごじっぽひゃっぽ
故事成語の意味
差はあっても本質的には同じであること。程度の違いがあっても、どちらも同じような欠点や問題を抱えており、本質的な差はないことを指す。一方が他方を批判しても「お互い様だ」と返せる状況に使う。自他を問わず「どっちも五十歩百歩だ」と言いたいときに使われ、批判や揶揄のニュアンスを含むことが多い。表面的な差異に意味がないと示したいときに有効な表現。
故事の由来
中国の思想書『孟子』梁恵王章句上(梁恵王篇上)に由来する。梁(魏)の恵王が孟子に「自分は民のために心を尽くしているのに、隣国と比べて人口が増えないのはなぜか」と問うた。孟子は戦場の比喩で答えた。「戦が始まり、兵士たちが戦場から逃げるとき、五十歩だけ逃げた者が百歩逃げた者を臆病者と笑ったとしたら、どうでしょうか」と問いかけた。恵王が「百歩も五十歩も、逃げたことには変わりない。笑える義理ではない」と答えると、孟子は「王もそれと同じです。王の政治も隣国の政治も、どちらも民を苦しめているのは変わりません。人口が増えないのは当然のことです」と返した。恵王は自分の政治が根本的に間違っていることを指摘された。この比喩から、本質が同じであることを「五十歩百歩」と言うようになった。原文の「以五十步笑百步、則何如」という表現が定着した。
用例
- “どちらの案も問題があって、五十歩百歩だ。”
- “A社もB社も接客の質は五十歩百歩と言わざるを得ない。”
- “二人の意見は表現が違うだけで、言っていることは五十歩百歩だ。”
- “遅刻の理由を並べても、五十歩百歩だろう。”
- “新旧どちらのシステムも使いにくさは五十歩百歩で、根本的な改善が必要だ。”
類義の故事成語
対義の故事成語
英語訳
Six of one, half a dozen of the other; there is little difference between the two.
使うシーン
参考文献
- 新村出 編『広辞苑 第七版』岩波書店, 2018年
- 松村明 編『大辞林 第四版』三省堂, 2019年
- 尚学図書 編『故事ことわざ辞典』小学館, 2012年
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