言葉辞典
ことわざ

後の祭り

あとのまつり

ことわざの意味

機会を逃し、そのあとに何をしても役に立たないこと。間に合わなかったと気づいて悔やむ場面にも使う。忘れていた誕生日を翌週に祝おうとしても、当日の機会は戻らず後の祭りだ。「覆水盆に返らず」は一度起きたことが取り返せない結果を言い、この語は対応する時機を逃した点を表す。「六日の菖蒲十日の菊」は節句の日を過ぎた花を指す、より具体的な類句だ。

言葉の由来

「後の祭」は、祭りが終わった翌日や、その日に神饌を下ろして食べることも指す語だと辞書は記す。そこから、祭礼が済んだ後の山車のように、時機を逃せば役に立たないもののたとえへ移ったと説明される。精選版は、この比喩の古い例として1534年の『虚堂録臆断』を載せる。一方、ことわざを知る辞典は「死んだ後の祭」と結びつける解釈も紹介し、祭りの後の山車だけを唯一の起源とはしていない。現代の辞書では、どちらの説明でも「後から悔やんでも間に合わない」という意味に通じるものとして扱われる。語源の解釈には幅があるため、由来を一つに決めず、手遅れの意味を中心に読む。同辞典の用例も、訂正が読者に届く頃には既に遅いという場面を示している。

使い方の例

  • “彼女の誕生日を忘れ、翌週に気づいても後の祭りだった。”
  • “道路が冠水してから土のうを積んでも、後の祭りになりかねない。”
  • “締切を過ぎてから書類をそろえても後の祭りだ。”
  • “被害が広がる前に知らせるべきだったと悔やんでも、今では後の祭りだ。”
  • “会場を予約しようとしたら満席で、候補を決めるのが遅すぎて後の祭りになった。”

似たことわざ

六日の菖蒲十日の菊

英語の表現

Too late to act; all that remains is regret.

使う場面

日常会話ビジネス後悔判断

参考文献

このページで確認した資料

意味・由来の記述は、次の資料を照合して編集しています。

編集の基本参考文献

  • 新村出 編『広辞苑 第七版』岩波書店, 2018年
  • 松村明 編『大辞林 第四版』三省堂, 2019年
  • 尚学図書 編『故事ことわざ辞典』小学館, 2012年

関連することわざ

ことわざ

六日の菖蒲十日の菊

むいかのあやめとおかのきく

五月五日の端午の節句の菖蒲、九月九日の重陽の節句の菊のように、使う時期を過ぎて役に立たなくなったものを言うたとえ。花が必要な日を一日過ぎた例から、用意が手遅れになる場面にも使う。「後の祭り」は、機会を逃した後の悔いや遅れ全般を指すのに対し、こちらは時期を外れた物を花で描く。「覆水盆に返らず」は一度したことを戻せない結果に焦点があり、時期外れとは別の意味だ。

ことわざ

急いては事を仕損じる

いそいではことをしそんじる

何事も焦って急ぐと失敗しやすいということ。急ぎすぎると注意力が散漫になり、手順を飛ばしたり確認を怠ったりして、かえって手直しや取り返しに時間がかかってしまう。「急いては」は「急いで行動すれば」という仮定の表現、「仕損じる」は「やり損ねる・失敗する」の意。物事に落ち着いて取り組むことの大切さを説く、日本の代表的なことわざのひとつ。

ことわざ

待てば海路の日和あり

まてばかいろのひよりあり

今は状況が悪くても、じっと待っていればそのうちよい機会がやってくるということ。

ことわざ

元の木阿弥

もとのもくあみ

一度上向いた事柄が、また不本意だった以前の状態に落ち着くこと。そこまでに積み重ねた努力が実らず、振り出しに近いところへ戻る結末にも使う。「元に戻る」だけなら良し悪しは決まらないが、この語にはいったん改善した後の後戻りや、苦労が帳消しになる響きがある。立て直した売上が再び落ち込んだときや、何週間も続けた片づけが一日で崩れたときに「元の木阿弥」と言える。

故事成語

覆水盆に返らず

ふくすいぼんにかえらず

器からこぼれた水は二度とその器に戻せないように、一度起きてしまったことはどれほど悔やんでも元の状態に戻すことができないということ。過去の失言・別れ・失敗・壊れた信頼関係など取り返しのつかない事態に対して用いられる。後悔への戒めとして機能するとともに、過去に縛られず前を向くことを促す含意も持つ表現である。

ことわざ

馬の耳に念仏

うまのみみにねんぶつ

いくら意見や忠告をしても、まったく効き目がないこと。聞く耳を持たない相手への徒労を表す。何度説明や説得を試みても全く届かない状況を指す。仏教で有難い言葉とされる「念仏」でさえ馬には届かないことから、どれほど誠実な言葉も理解しようとしない相手には無意味だという含意がある。繰り返し指摘しても改善が見られない場面でよく使われる。

ことわざ

果報は寝て待て

かほうはねてまて

幸福は人の力だけでは思い通りにならないことが多い。できる手を尽くしたなら、あとは焦らず静かに時機を待つのがよいということ。「果報」は仏教語で、過去の行いがもたらす善果を意味する。努力を怠ることを許す言葉ではなく、やるべきことを終えた後の心の持ち方を説く。縁は人の都合に合わせては動かない、という静かな諦観が根底にある。

ことわざ

光陰矢の如し

こういんやのごとし

月日の過ぎるのが、飛ぶ矢のように速いということ。年月が流れていく速さをいうたとえである。辞典が載せる用例も、谷崎潤一郎の「すぎ去ってみればなるほどそうでござりますけれども」、斎藤茂吉の「私は五十になり、六十になり」のように、過ぎ去った年月を振り返る場面のものばかりで、一日の予定が立て込んだ慌ただしさに使った例は見えない。デジタル大辞泉はこの句の類語に「歳月人を待たず」「時は人を待たず」を並べている。

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