自給自足
じきゅうじそく
四字熟語の意味
必要なものを自力で生産・調達し、外部の支援や輸入に依存しないこと。農業では自分の食料を自分で作ること、国家レベルでは食料・エネルギーなどの自国生産率を指す。個人の哲学として「足るを知る」自立した生活スタイルを表すこともある。日本語の「足るを知る」や老子の「知足者富」(足るを知る者は富む)に通じる生き方の哲学とも重なる。持続可能な社会を目指す現代の潮流とも親和性が高い語。
由来・語源
「自給」は自分で必要なものを自ら供給すること、「自足」は自分だけで足りることを意味する。漢語由来の語で、中国の農業経済思想にも類似の概念がある。日本では江戸時代、鎖国政策のもとで農村共同体が基本的に自給自足の生活を営んでいた。明治以降の工業化・近代化とともに社会の分業が進み、自給自足は「理想的だが難しい状態」として語られるようになった。戦後の高度成長期には食料自給率の低下が社会問題となり、農業政策の文脈で頻繁に使われた。現代では環境問題・持続可能性の観点から自給自足的な生活への関心が再び高まっており、田舎暮らし・家庭菜園・エネルギー自立などのライフスタイルを表す語としても使われる。持続可能な社会・エコロジーの観点からも自給自足の考え方が見直され、食料安全保障や地産地消の文脈で現代政策にも取り込まれている。
用例
- “山奥の集落では、今でもほぼ自給自足の生活が続いている。”
- “家庭菜園で野菜を育て、自給自足に少し近づいた気がした。”
- “食料自給率の低さが問題とされる日本では、自給自足の体制強化が課題だ。”
- “電力の自給自足を目指して、屋根にソーラーパネルを設置した。”
- “戦時中の農村は自給自足に近い形で食糧を確保し、都市部に送り出していた。”
類義の四字熟語
対義の四字熟語
英語訳
"Self-sufficiency." / "Living off the land."
使うシーン
参考文献
- 新村出 編『広辞苑 第七版』岩波書店, 2018年
- 松村明 編『大辞林 第四版』三省堂, 2019年
- 三省堂編修所 編『新明解四字熟語辞典 第二版』三省堂, 2020年
関連する四字熟語
自由自在
じゆうじざい
思い通りに物事を操ること。何の制約もなく自在に振る舞えること。
自問自答
じもんじとう
自分で自分に問いかけ、自分で答えること。深く考えること。
自縄自縛
じじょうじばく
自分の言葉や行動が原因となって、自分自身が苦しい立場や束縛された状態に陥ること。まるで自分で縄を縛って自分を動けなくしてしまうように、自ら招いた制約に苦しむ様を表す四字熟語。過去の発言・主張・ルールが後から自分の行動の自由を奪う状況を指し、政治・ビジネス・日常の言動全般に広く使われる。自業自得の中でも特に「言動が自分を縛る」という構図に焦点を当てた表現。
揚げ足を取る
あげあしをとる
相手の言葉の些細なミスや言い間違いをとらえて、意地悪く責めたり批判したりすること。議論や会話の本質ではなく、言葉のあら探しに終始する行為を指す。「揚げ足」とは相手が失敗の隙をさらした瞬間を指し、それを巧みに捕まえて攻め込む様子を表す慣用句。建設的な議論を阻む、批判的なコミュニケーションの典型として否定的に使われることが多い。
千里の道も一歩から
せんりのみちもいっぽから
どんなに大きな事業や遠い目標でも、まず身近なことから着実に始めることが大切だということ。始めることの重要性と、一歩一歩の積み重ねを説く表現。壮大な計画の前に及び腰になっている人への励まし、あるいは行動を促す言葉として使われる。長い旅も足元の一歩からというイメージが明快で、動き出すことを後押しする力がある。
足元を見る
あしもとをみる
相手の弱みや不利な立場につけ込んで、不当に有利な条件を押し付けること。相手の苦境や困り度合いを見透かして、値段や条件を吊り上げる行為を指す。「足元」とは比喩的に「相手が置かれた立場・状況の底辺」を意味し、そこを見透かして有利に動く様子を表している。駕籠かきが旅人の疲れ具合を見て料金を吊り上げた江戸時代の商習慣に由来する。
塵も積もれば山となる
ちりもつもればやまとなる
わずかなものでも、積み重なれば大きなものになるということ。小さな努力・節約・積み立てを継続することの大切さを説く。毎日の些細な行動でも長く続ければ大きな成果を生むという教えで、貯蓄・学習・訓練など、地道な継続を励ます文脈でよく使われる。小さなことを軽視しないよう促す意味合いも含み、日々の習慣の力を示す表現。
旅は道連れ世は情け
たびはみちづれよはなさけ
旅に同行者がいると心強いように、世の中もまた互いに助け合って生きていくべきだということ。「旅の道連れ」と「世の情け」を対句にした構造で、人と人のつながりが困難を乗り越える力になるという教えを示す。見知らぬ土地での旅と日常の社会生活を重ね、どちらの場面でも思いやりと相互扶助が不可欠だと説いている。転じて「人生という旅」の比喩としても広く用いられる。